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 生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。例えば本能も、その様な外圧適応態として形成され、積み重ねられてきたものである。また全ての存在は、本能をはじめ無数の構成要素を持っているが、それら全ては外部世界に適応しようとして先端可能性へと収束する、その可能性への収束によって統合されている。また、外部世界が変化して適応できなくなってくると、新たな可能性(DNA塩基の組み換えの可能性)へと収束し、新たな可能性(例えば、新たな配列)の実現によって進化してゆく。従って、歴史的に形成されてきた存在は(=進化を重ねてきた存在は)、生物集団であれ人間集団であれ、全て始原実現体の上に次々と新実現体が積み重ねられた、進化積層体(or 塗り重ね構造体)である。つまり万物は、それ以前に実現された無数の実現体によって構成されており、それらを状況に応じたその時々の可能性への収束によって統合している、多面的な外圧適応態である。

 もちろん人類も、単細胞の時代から今日まで外圧適応態として必要であった全てのDNA配列=諸機能or 諸本能は、今も現在形において(しかも最基底部から上部へと段階的に塗り重ねられて)その全てが作動しているのであって、単細胞や動物たちの摂理を人間とは無関係な摂理と見なす様な価値観は、人類の傲慢であり、かつ大きな誤りである。

 また進化とは、その存在を構成する多数の古い実現体の無数の組み換え可能性の中の一つの外圧適応的な実現である。その無数の可能性の内、外圧適応態たり得る可能性は極めて小さいが、しかし決して唯一ではなく、幾通りもの適応の仕方=進化の方向が存在する。と同時に、完全なる適応態など存在せず、全ての適応態は外部世界に対する不完全さを孕んでおり、それ故より高い適応を求めて進化を続けてゆくことになる。とりわけ外圧が変化した時に、存在の不完全さと進化が顕著に現れるのは当然である。人類の最先端機能たる観念機能による『事実の認識』も同様であって、完全なる認識など存在せず、人類史を通じてより高い適応を求めて無限に塗り重ねられ、進化してゆくことになる。(例えば、これから展開する事実の認識群は全く新しい認識の連続であるが、それもわずか30年もすれば、小学校の教科書に載っている程度の初歩的な、当たり前の認識に成っているに違いない。)

 生物群も、サル類も、複雑な系統樹に分化=進化しているが、その中で始原単細胞から人類を結ぶ直線上に塗り重ねられてきた遺伝子群(の内、現在も有効な遺伝子群)は、単細胞時代の遺伝子を含めて全て現在形において、作動している。そして、それら塗り重ねられてきた諸機能(or 諸本能)は、最も深い位置にあって私たち人間の意識や行動の土台を形成している。(換言すれば、それら無意識の次元で作動する諸機能は、決して人間の意識と無縁ではない。)私たちが、哺乳類や原猿・真猿・類人猿にまで遡ってそれら諸本能や社会構造を解明しようとした理由も、そこに在る。

逆に云えば、上記の直線から枝分かれした生物や猿たちに固有の機能や様式は、人類のDNAに刻印されておらず、人類とは無縁である。例えば、よく一夫一婦制のモデルとして鳥類の一対様式が持ち出されるが、鳥類のその様な様式は、人類とは無縁である。また同じく一夫一婦制のモデルとして、軽量化の道を歩んだ小型テナガザルの両頭婚の例が持ち出されるが、これも人類とは無縁である。同様に、ゴリラやボノボに特有の様式も、人類のDNAには刻印されていない。

 人類のDNAに刻印されているのは、単細胞から脊椎動物に至る諸機能、及び魚類・両生類を媒介にした、哺乳類(原モグラ)→原猿→大型化に向った真猿→原チンパンジーまでである。そこで本書では、本能と云えば、(特にことわりのない限り)この直線上の本能群(機能群)を指す。

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